ルート/ユーズネット会長 井上政彦のブログ「おかげさまで」

井上政彦の、山あり谷ありの日々。
そんな毎日を「おかげさまで...」の気持ちを持ちながら、走り続けて行きます。

2021年09月09日 14:11  カテゴリ:私の販売の原点

四国で死亡事故!「今だから言えること」



4日(土)・5日(日) 久留米キャンピングカーフェアに出展してきました。

フェアの翌日、長崎県島原しの販売店さんと 長崎市の販売店さんを訪問してきました。

販売店さんからは ご意見や、ご質問を多くいただき 「ちょいCam」に対する熱意を

ひしひしと感じました。

そして 7日(火)昼頃 帰ってきました。


9月3日大阪南港 夕方発の新門司行きフェリーに乗船。
京都近くまで ものすごい雨でしたが やっと雨も上がった大阪南港の景色です。
 

大阪南港を出港して約1時間ほどで 明石海峡大橋の下をくぐります。
明日の朝 5時半着、2時間走って 朝のオープンに間に合わせなければいけません。
朝が早いのでそろそろ寝ます。



久留米に近くの 九州道で事故渋滞が発生 どうしようと 焦りましたが
何とか 9時半のオープンに間に合いました。天気は良いが 今日は暑い1日となりそうです。
熱中症にならないように、水分補給を。



キャンピングカー人気は、全国どこでも相変わらずで ありがたいことです。
「ちょいCam」コーナーには たくさんのご来場者が集まりました。
左隅、電話をしているのは 同行した 美鹿社長。




イベント終了で 美鹿社長を 久留米駅まで送り 私は明日早朝 熊本から 島原へフェリーで渡ります。
北熊本サービスエリヤで車中泊です。
コロナ禍で多くの人が外出を抑えているからでしょう、乗用車駐車場には 私の車が さみしそうに「ぽつん」と・・・
後の トラック駐車場はぎっしりです。



7時半 熊本港発 島原行き フェリーです。
高速フェリーです。 時速60キロで走ります。 カッコいい形の船です。




7時半熊本発 島原には 30分で到着します。
通常のフェリーの半分の時間で済みます。
大きなフェリーにお客は 私以外 数名しか乗っていません、しかも軽ばっかりでした。
出発からほどなく 島原半島が近くなってきました。

こんなことでは フェリー会社の経営は苦しいのでは・・・
早くコロナが収まってください!と祈る気持ちで 船を降りました。




長崎市の販売店さん訪問を終え
九州長崎道の 大村湾パーキングエリア。
大村湾の見える 「恋人の聖地」 
私は「聖地」独り占めでした。 
ここにも人の姿はありません。



高速のパーキングエリアの静けさ・・・
熊本フェリーの静かさ・・・
「恋人の聖地」の静かさ・・・

対照的な キャンピングカーフェアの賑わい
この業界に携わることのありがたさをしみじみ感じました。






2007年8月18日

「今だから言えること」第5弾


「●●さんが、四国で死亡事故を起こしました。」



車が横転して、同乗していた女性が社外に放り出されて、車の下敷きになって亡くなった・・・

忘れもしません。昭和53年8月・・トヨタ自動車の夏休みの出来事でした。

当時のルートは、スタッフなし、私一人ですべてをこなしておりました。

あの日、夕方までの1~2時間、親しい人に留守番をたのんで、書類の仕事か、仕入れのため、外出しておりました。

●●さんのお車は、翌日がお渡しの予定で準備はできておりました。

当時のルートは、自動車保険の代理店資格は無く、保険加入はお金のみ預かり、正規の代理店にお願いしておりました。

対人1億・対物200万・搭乗者傷害500万という内容でお金は事前にお預かりしておりました。

お渡し予定の明日、保険の加入手続きはお願いしようと思っておりました。

留守番の人の報告も無く、そのお客さんが乗って行ったなんて思ってもいませんでした。

翌日の朝・・「●●さんが死亡事故を起こした!」と言う代理人からの電話でびっくり!!

まさかと思って、裏へ車を確認に行き、初めて乗っていかれたことを知り、血の気が引きました。

「500万円の搭乗者保険に加入しているはず。すぐ手続きをしてほしい・・・」

保険加入が出来ていなかった旨をはなし、

平謝りの上、代理人との話を重ね

何とか月々の支払いで堪忍してもらうのに1ヶ月を要しました。

この一件が無くとも、当時の自分にとっては、天文学的金額の借金を負っていました。

その上、搭乗者保険の賠償分、月々 170、000円、30ヶ月払いが、づっしりと、のしかかりました。

「憂きことの、尚、この上に積もれかし、限りある身の力試さん」

この事故の約半年前、どうにもお金が回らなくなり、亡くなった母親に、お金を借りに行きました。
(後でわかったことですが、当時母親は、3、000万円以上持っていました。)

その時母親は、頑として1円のお金も貸してくれませんでした。

でもお金のかわりに、この言葉をくれたのでした。

これは、江戸時代の、熊沢蕃山という人の言葉だそうです。

この、憂きことの・・・を唱えながら歯を食いしばったものでした。


あの時の、私のつらかった経験から学んだ、保険に対する心が グループ全体に受け継がれております。

そして、今では・・・
くるまは、ユーズネット・・・保険もユーズネット・・・として、お客様に安心をしていただいております。

今朝、母親のお墓参りをしてきました。
私に力を与えてくれた、「憂きことの・・」に改めて感謝をささげました。

「今だから言えることでした」  


Posted by まさひこ │コメント(0)